あらすじ毎週更新! 役柄紹介、記者会見リポートも! 2011年秋ドラマ

塚原卜伝
10月2日 スタート NHK BSプレミアム 毎週日曜 午後6:45〜午後7:28(初回は午後6:45〜午後8:00)
出演者
堺雅人/平岳大/栗山千明/京野ことみ/永島敏行/風間杜夫 ほか
スタッフ・音楽
原作:津本陽「塚原卜伝十二番勝負」(講談社)/脚本:山本むつみ/脚本:高山直也/演出:佐藤峰世/演出:福井充広/制作統括:一柳邦久/制作統括:鹿島由晴/制作統括:加賀田透
概要
堺雅人が迫真の殺陣で伝説の剣豪を演じる
戦国時代に剣の聖地・鹿島に生まれ、幼少より学んだ鹿島中古流の太刀で数多くの真剣勝負や合戦に臨むも、生涯一度も負傷しなかったという伝説の剣豪・塚原卜伝。波乱万丈の死闘を潜り抜け、秘剣“一つの太刀”を会得した卜伝の謎に満ちた青年期を、堺雅人が演じる。また、風間杜夫や中尾彬らベテラン俳優が脇を固めるほか、台湾で司会者として絶大な人気を誇るジャッキー・ウーも、卜伝と対決する剣豪として登場する。
キャラクター紹介
塚原新右衛門(堺雅人)
鹿島神宮の神官の家に生まれ、鹿島中古流の剣を学ぶ。17歳で回国修行に出て、剣豪と真剣勝負を重ねる。30歳で郷里に戻り、1000日間鹿島神宮に参籠して“一つの太刀”を修得、“卜伝”と号する。
山崎左門(平岳大)
新右衛門の実家である卜部吉川家の家臣。回国修行の供として、新右衛門を様々な面でサポートする。
真尋(栗山千明)
新右衛門の妹。鹿島神宮の巫女である物忌に仕え、回国修行に出た兄の無事を祈っている。
鹿乃(京野ことみ)
平賀丹後守の娘。新右衛門に助けられ、恋をする。悲劇的な過去を背負っていて、新右衛門が真剣勝負に挑むことを恐れている。
松本備前守(永島敏行)
多くの剣豪を排出した鹿島でも抜きん出た剣士で、新右衛門の少年時代からの剣の師匠。
平賀丹後守(風間杜夫)
将軍・足利義尹を支える大名・大内義興の家老。新右衛門の良き理解者であり、京での父親的存在。
記者会見情報
1500年代初頭の戦国時代に実在した“伝説の剣聖(けんせい)”を描いたBS時代劇「塚原卜伝」の第1回完成試写会が行われ、主演の堺雅人、栗山千明、脚本家の山本むつみ、原作者の津本陽が登場。今回、卜伝(新右衛門)の元服(17歳)からを演じる堺は、「経験のないチャンバラ(殺陣)も非常に大きなハードルだったのですが、最初に17歳(を演じる)と聞いたとき、そっちのハードルの方が高いんじゃないかと思いました(笑)」とおどけながらも、「1カット1カット、試行錯誤していないカットはないというくらい、現場でいろいろな方と相談して、いろいろな方が頭を悩ませて、作品を作っていきました」と真摯に語った。「日本の武芸者の生き方を非常に丁寧に描いている。外国の方が見ても、非常に興味を持つのではないかと思いました」と原作者の津本も太鼓判を押すこの「塚原卜伝」。BS新時代の幕開けとなる新しい時代劇に期待したい。
新右衛門の成長を見守っていただければと思います(堺雅人/塚原新右衛門)
こんなにワクワクドキドキしながら演じた作品はないというくらい、試行錯誤して作り上げた作品です。本格的なチャンバラの映像作品は初めてなのですが、鹿島の太刀の特徴として“神様に仕える人たちが伝えてきた”という背景がありますので、人を殺(あや)める道具ではありますが、“自分の意識の外で、刀が動きたいように動いている”、“刀がきれいな軌道を描くために自分の体を動かす”ことを意識しました。それが幕末・江戸期に流行した北辰一刀流や宮本武蔵のような剣豪とは少し違うのかな、という気がしたので、今までの時代劇の殺陣とは違った動きができればと思い演じました。(試写は)第1回目ということで、現場のドキドキ感がそのまま伝わるような仕上がりになったのではないかと思います。第1話では、17歳ということもあり、純粋無垢さがテーマで、共演の平(岳大)さんと相談しながら表現していきました。これから2回、3回、4回…と、全7回、新右衛門の成長とともに、新右衛門の周りを取り巻く鹿島の人々の愛情、またその変化、そして時代のうねりと、見どころがたくさんあるドラマになっております。どうぞ最後まで愛していただければと思います。
今までにない剣士の形・生き方が描かれているのではないかなと思います(栗山千明/真尋)
私は新右衛門の妹・真尋を演じさせていただいたのですが、真尋は鹿島にいる設定で、ほとんど兄上と会わず、見えないところから応援して、心配している役だったので、第1話を拝見して、兄上はこんなに凛々しく戦っていたんだな、と改めて思いました。私の中では塚原卜伝=堺さん、兄上=堺さんの感覚なので、逆にそれ以外のイメージがなかなか沸かないですね。(堺「ものすごいプレッシャーじゃないですか(笑)」)。堺さんは、最初に台本をご覧になったときの印象をそのままに、より膨らませて、演じられていたのではないかなと思います。兄上の天真爛漫さも、欲というよりは、ピュアに自分の刀がどれだけ通用するのか試したいだけで、周りを打ち倒したいということではない、という意味では、今までにない剣士の形・生き方ではないかなと思います。兄上が鹿島立ちされて、帰ってくるまで共演のシーンはほとんどないのですが、すべてが見えないからこそ、想像したり、心配したり、何もできない自分に歯がゆくなったり、心配して神様にお祈りしたり…ということに繋がっていくのかなと思いました。